てくてく

日々の作曲に

view vol.2

だったかな、FORUM KYOTOでのLIVEイベントの名前。イベント名なんかわりとすぐ忘れちゃう。自分が出たやつのは特に。

 

僕以外の人たちは全員京都精華大学の卒業生、もしくは現役生だった。写真を撮ってた人もそうだった。ところで写真を担当していたこの彼はミシマ社で仕事してるとのことでカメラの話よりも本や小説の話で盛り上がった。

 

リハの方が緊張した。なんかよくある話でわりとテキトーなスタッフなので「ちゃんとケーブルとかあんのかな」とか思って一応こちらから持って行った。結局古いミキサー卓を出してきたらしく、音響は大丈夫だった。

僕は自分の出番の前に赤ワインを飲み、ビールを一口飲んで演奏開始。

リハで一応音量などのバランスは整えたけどそれでも不安だったので音を出し始めてからもいろいろ試しながら確認しながら進行。

 

結局、1時間もやることになっていたので持ち音をいっぱい出したという感じ。

カラオケ意外で不特定多数の前で初めて歌ったのがなんとヴォコーダーというのも少し自分では笑える。もちろん僕のソロに歌モノは無いのでpr-nytの曲をやったわけだ。

 

ピアノの音もたくさん使い、前日に自分の声で朗読して録音したものも使いという感じ。ピアノはやはり調性からはずれてはいるものの奇妙に和声和声してる感じをどう出すかというところで考えている。でもこの日もそうだったけど、やはりそういったことは他の人には聴こえていないのだな…ということ。

 

突発性難聴と音響外傷

 渋谷に新しいWWW Xが出来たということでいろんな音楽家が出演していて最終日の10月29日に池田亮司メルツバウがライブするということで見に行った。メルツバウが最初に出て来て次に池田亮司メルツバウの音楽はかなり前に音源で聴いたことがあってすごいノイズの塊だなあという印象だった。新しいWWW Xに多分300人ぐらい?そんなに多くないかもしれないけどフロアにいっぱい人がいて提供されたワンドリンク1時間ぐらい待ったあとメルツバウ登場。

 

 メルツバウがテーブルに並べてある機材のノブを回転させた瞬間凄まじいノイズがゴー!っと鳴り始めて「うわあ、こりゃドえらい音響だな」ぐらいに思ってそのノイズ成分の変化や新たに付加されるノイズを突っ立ったまま聴いていた。音量自体もデカ過ぎとは思っていたんだけど周りにいる人たちは平然と立って音に集中してる様子だったのでその時には「こういうものか」ぐらいに思っていたのだけど、学生の時に小さなライブハウスでギターバンドのライブで10分ぐらいの演奏を聴いたあとに耳がキーンとなって耳の閉塞感みたいなのを数分ぐらい感じるという経験があったので「この演奏終わったらそうなるかもなー」と思い始めた。でもこのメルツバウ池田亮司と共に恐らくそれぞれ45分ぐらいは演奏する。そう考えると、耳大丈夫かなこんなデカい音で聴いててという思いも出て来たのだけどなにぶん周りの人たちが平気そうなのでつい僕も大丈夫だろうとか思ってしまった。

 

 時々耳に痛い周波数の音が出て来た時は少し耳を指で塞いだりした。いつまで続くのかなーメルツバウと思うぐらい結構長く感じた。終わった瞬間周りの人たちが「ヒュー!」だの「ィエー!」だの叫んで拍手してたけど耳の奥なのか頭の中なのかとにかく「キーーン!!」という大きな耳鳴りと閉塞感にびっくりした。「うわ、耳鳴りヤベー」という周りの声も少なからず聴こえたけどかなりの恐怖感。少し怖くなりとりあえずフロアを出て休憩するも耳鳴りと閉塞感が止まない。少しずつマシになるだろうと思っていたのだけど永遠に続いたらどうしようとも思うと結構怖かった。他の人たちはお互いの声がよく聞き取れない様子なのに楽しそうに話してるのが信じられない。学生の時は数分で収まった耳の閉塞感が20分してもおさまらない。これはもしかしてまずいのでは?と思い「ライブ 大音量 耳」とかで検索すると「音響外傷」という言葉が出て来た。しかも「耳鳴りがしてからでは…(中略)そうなる前に…」とか書いてあったのでおいおいマジかと怖くなり、その次のメインの池田亮司をとても見る気にはなれず出て来てしまった(ついでに。退出したのは僕だけでなんと他の客は全員池田亮司のライブが始まるのでフロアに戻って行った。絶対耳がバカになってる状態なのに…。信じられない!怖くないのかなと不思議だった)。

 

 ハローウィンでそこら中お祭り騒ぎの渋谷の人ごみの中を駅に向かって歩いていても周りの音がこもってほとんど何も聴こえない。こりゃやってしまったかもなと。

 

 僕は耳に関してはかなり神経質でヘッドフォンも長時間装着しないとか音量にも気をつけるとか普段から気を配っているのだけど今回は完全に油断した。

音響外傷とは大きなエネルギーを持った音(異常にデカい音)を聴き続けることによって起こる内耳の損傷のことで、傷が軽度であれば数時間で自然治癒するが翌日になっても耳鳴りや閉塞感が続くと早めに治療を開始しなければならない。治療は主にステロイドを内服、もしくは点滴、それと血管拡張剤を飲み、安静にする。発症から2週間以内にどれだけ聴力が回復するかでその後の残りの人生の聴力が決定される。つまり治療によって完全回復するとは限らない。

 

 この治療は音響外傷だけではなく突発性難聴と全く同じ治療法。何故僕が治療法に詳しいかというと2005年に一度突発性難聴になったからだ。ある朝起きたら右耳が綿を詰めたみたいに全然聴こえない。自分の声もよく聞き取れない。耳鳴りもする。なんだろうと思って耳鼻科に行くと先生が僕の耳の穴の中を見ながら「おかしいなあ」と言う。鼓膜の検査と聴力検査をすると「こりゃね、突発性難聴というやつだな」と。突発性?難聴?一瞬「でもまあ治るんでしょ」ぐらいに思ったのだけど先生が「君、音楽とかやってないやろね?」と訊くので音楽やってますと答えると「まいったな…」というリアクション。

完全回復の可能性は50%と言う(今調べ直すと30%という数字も)。「は!?なんすかそれ!」と言いたいところだけど少々ショック状態だった。

 実際は点滴の方が効果は高いらしいのだけど僕の場合はステロイドを内服することになった。その夜はもう耳がもとに戻らないかもしれないという恐怖から食事が喉を通らなかった記憶がある。早めに寝て深夜トイレのために起きた時もまだ右耳は同じ状態で「これはダメなのかな」と思い作曲は諦めることになるのかなと考えた。

 

 翌朝、なんと完全に聴こえるようになっていてびっくりした。さっそく耳鼻科に行って検査すると完全回復していた。薬がかなりよく効いたらしい。そのあと調べてみると一晩で回復とはなかなかレアなケースのよう。ちなみに難病であるとのこと。原因はよくわかっておらず身体的、精神的ストレスだとか風邪をひいている時とか、そういったタイミングでなんらかのウィルスによるものだとか色々言われていてよくわからないのだそうな。つまり誰でもいつでも発症し得る。

突発性難聴は一度発症すると(聴力が回復するしないに関わらず)もう再発はしない。

母親の友人の息子さんも以前発症して、病院に行くのがかなり遅かったらしく聴力が発症前の70%までしか回復せず早く受診しなかったことをかなり後悔したらしい。

 

 という経緯があるので検索して音響外傷という言葉と治療の項目を読んで「またあの恐怖感と戦うのか…」というかなり心配な気持ちになった。結局数時間で治まるどころか一晩たってもなんだかキーンという音は聴こえるし、駅ホームのアナウンスの周波数の高いシャリシャリした音を聴くと耳がビリっとなるし、コンビニのレジ袋のガサゴソいう音も目の前で音が鳴っているのにその音源がどこにあるのか掴みにくいという状態だし、家に帰るまでかなり憂鬱だった。ライブの翌日は日曜だったので早く医者に行きたくても月曜まで待たなきゃならんし…。

 

 ところがその日曜の深夜ぐらいになると「あれ、なんだかちゃんと聴こえるぞ。ヘンな感じもない!」となって月曜の朝、突発性難聴を治してくれた耳鼻科で検査すると完全に回復していた!なんという悪運の強さ!またしても回復。「ライブ?まあ今回は自然治癒したけど今度から大きな音がする場所に行く時は耳栓持って行ってね」と先生。ライブ用の耳栓というやつだ。

 

 でもこういった種類の幸運というのはほんとにたまたま(だから幸運というのだけど)なので本当に気をつけようと思った。年齢による聴力の衰えなどは誰にでも起こるが防げるものはきちんと予防行動を取らねばならない。音響外傷は侮れない。

 

 

 

ということで罪神のみんなも気をつけて。

 

 

増えるアイディア

 pre-nytの曲のアイディアの話。

 

 pre-nytは一応エレクトロニカの体裁をとっているけども(実際の呼び名というかジャンル名とか正直に言って僕にとってはどうでもいい。エレクトロニカと言っておけばあらゆる音を放り込めるし、僕にとってのエレクトロニカとはそういう非常に都合の良い入れ物だ。だからエレクトロニカだからこうしなくてはならないとかダメだとかは無いと思う。何度も言ってることだけど)、「僕にとってのpopな歌モノとは」ということも一つ大事なテーマもある。

 

 それで結構前から考えてる曲のアイディアの一つに、「2小節、あるいは歌の1〜2フレーズごとにそれに付随するバックのアレンジががらりと変化する歌モノ」。例えば、最初の2フレーズのバックはpop的、次の2フレーズはclassic的、次の1フレーズはjazzっぽいアレンジ、などというふうに。Aメロ、Bメロのような分割の仕方もあると思うんだけど、そのアイディアだとそこまで過激でなくても恐らく既にそういう曲はある。重要なのはAメロ、Bメロ、サビのような構造で分割することではなく歌のメロディーに付随バックのアレンジの変化ありきで全体を構造せしめること。

 

 これって多分に現代音楽的な発想だなと思うし、ここまで整理してみて川島素晴先生の1999年の「Dual Personality3」(3だったと思う…。あの芥川賞受賞後の委嘱作品のでっかいオケのやつね)のオーケストラによる旋律とそれに付随する和声構造をもとにしたオケの分割のアイディアっぽいなと思った。もちろん先生のアイディアの根幹は「演じる音楽」なので表面的な類似性だけを取り上げてみたところで全く別物なのは当たり前。これを「僕にとってもpopな歌モノ」アイディアとしてpre-nytでやってみることが重要かなと。  

 

 あと高校1年の時に作曲した曲をpre-nyt用に転用できないかなというのも思いついた。当時(1995年)買ったMacYAMAHAが出していたDTM用の音源モジュールMU80とOpcode社のEZ Visionで夜な夜な作ったインストなのだけどなんとなく好きなのでずっと記憶にある。あ、これ当時の音源もまだ残ってることも思い出した。Macで打ち込みをしてた。ちなみにMU80は今だと中古で1万円ぐらいで売られてるみたい。意外に高い。今調べたけど当時の税抜き価格で7万9000円してたみたい。高い!このMU80とEZ Visionが確か一つのパッケージになって「Hello! Music」だったかそんな名前でかなり安い価格で売られてたように思う。

今日はヴォーカル録音

今日はpre-nytのvocalの録音をした。いまさっきまでやってた。

僕のディレクションのもと今井飛鳥の歌を録った。3曲ほどを一気に。

歌う人間のほうがもちろん体力も気力も必要なのだけど実は横で発音の確認やレコーディングのオペレーションをする僕も結構集中力が必要なのだとわかった。

 

あの子が来る直前にpre-nytでの最初の歌モノとして僕が作詞作曲した「tweedle」という曲のヴォーカルを自分で歌ってみた。数日前にも試し録りとしてやってみたけど本日の録音の確認作業としてもう一度やってみた。

今井ちゃんに聴かせると「これはこれで良いんじゃないかな」とのことだけど、本当に歌うというより呟くという感じで誰かに聴き届いて欲しいという感じが皆無な自分の歌にただただ苦笑してしまう。レイハラカミの「Lust」の中の細野さんの「おわりの季節」のレイハラカミの歌のイメージ。

僕が「邦楽・洋楽」といった言葉が嫌いな理由

音楽好きな人と話をしていてよく出て来る「邦楽」「洋楽」という言葉について。

 

「それって邦楽(もしくは洋楽)ですか?」というような質問をされるとどうしようかなあといつも困る。

 

なんですか邦楽って。洋楽って。多分昨今のJ-POPなる音楽ジャンルのことを総称して邦楽と言ってる人がほとんどだと思うけど本来の意味と違うしなあとか。

洋楽ってアメリカとかイギリスのロック音楽のことを言ってるらしいけど、じゃあマイケル・ジャクソンはポップスだから洋楽じゃないのか?とか。洋楽の洋って西洋のことかな?とか。西洋ってどこの地域をさしてるんだろうとか。アルゼンチンで流行ってるロックとかポップスはなんなのとか。

アメリカにいるけど作曲した人は日本国籍の人で、その曲を歌ってるのはアメリカ国籍の人でアメリカでヒットしたロックは洋楽なの?とか。作曲された場所が問題なのか歌ってる人の国籍が問題なのか人種の問題なのかヒットした場所が問題なのかとか。

 

たぶんそんなことはいちいち考えてなくて日本かそれ以外かみたいな区分なんだろうけどいろんな意味で極めて良くない感覚だと思う。

 

でも会話の中でそんなことを言うとつべこべうるせえ奴だと思われるので言わないようにつとめてるけど一瞬の沈黙は避けられない。いつも。困ったな。

作曲の続き

前回書いた、今作曲中の曲について。

 

いろんな要素を組み合わせているけどこれがなかなか進まない。難しい。でも解はあるわけで、それらの要素をもっとシンプルにしつつもっとうまくやれるはずだと思いながら考えている。

 

おうひとつpre-nyt用の曲のアイディアとして(というか他にもいっぱいアイディアはある)、「全く反復のない曲」を考えている。つまり短いパターンが繰り返されることはあっても例えば普通は「AメローBメローサビーA'メローB'メローサビ」みたいに歌詞でいえば1番2番のように反復されるところを「AーBーCーDーE…」と最初に出てきたセクションに二度と戻らず終わる曲を考えている。次々と新しい要素が出現する音楽。出てきた要素が展開されたりすることは絶対にない音楽。それを歌モノでやろうかと。これはそんなに作曲として難しいことではないんじゃないかな。

 

ところで久々にハードのシンセサイザーを買った。pre-nytの録音とライブでヴォコーダーを使おうと思ったので使えそうなものをずっと探していて買ってしまった。

初めて自分の声をヴォコーダーを通して遊んでみたのだけどなかなか楽しい。コーラスのようにして使おうと思う。

今作曲中の

pre-nytの次のライブは京都で、と考えていて(今秋)今そのために作曲をしてる。

 

pre-nytに関わらずsoloでもそうだけど常に「乗り越えるべき何か」を設定して作るのでとても大変。「いつものこれとこれをこうすれば曲として一丁上がり」というふうにはしない。

 

pre-nytの曲はinstrumentalもあるけど一応は「僕が考えるpopな歌モノ」というテーマがあり、「pop」って何?とかいろいろ考える。

 

で、とにかく今作曲中の曲は「ハーモニーはドビュッシー的」、「リズムはHipHop」、でも「拍子は5拍子」という完全にわけわかんないことをしている。

 

なので実際にドビュッシーの和声感の強いピアノ曲を中心にいわばハーモニーsamplingみたいなことをして(つまりドビュッシーの曲の中からドビュッシーらしさを抽出すること)ハーモニーの構築をしている。でもあらためてドビュッシーの特に僕が好きなドビュッシーらしいハーモニーの部分を眺めてるともう既に僕の中にある程度その和声感は身体化されてるのがほとんどで特に何も考えなくともフランス印象派的なハーモニー構築には苦労しないなと思った。

 

問題はそれらの要素をpopな歌モノに昇華できるのか…ということ。

 

書き直したりしてるんだけど、ちょっと難しく書きすぎる嫌いがあって明け方の夢うつつの中で「もっとシンプルに書けるはず。たとえば…」みたいにしてアイディアが出て来る。

 

その曲の作曲がうまく運ぶかどうかというまさに作曲のとっかかりの時っていつも本当に何をしてても頭から離れないし不安だしイライラする。だからボーっとしてる時にふっと解決策のようなものが浮かんだ時の喜びは得難いものがある。

ものを作ったり考えたりする人はおそらくみんなそうなのだろう。