てくてく

日々の作曲に

カラオケの話

僕はカラオケが好きではない。いや、他人が歌うことには全く問題ない。でも歌うことでスッキリするという世の人たちのありふれた気持ちが全くわからない。歌うとみんな気分が良さそう。日頃から心の中で歌ってるんだと思う。

 

 

僕は自分が歌うことには実はすごく違和感がある。声と自分。小学校とか中学校あたりで誰しも自分が歌ったり話した声を録音したものを聞いた経験があると思うけどかなりびっくりする体験だと思う。声変わりをする前の小学生の時僕はショックを受けるぐらいびっくりした。というか録音を聴いて泣いた。声変わりをしたあと、音楽の時間に一人一人マイクの前で歌うという授業があってそこで聴いた自分の声は声変わりをする前に聴いた時よりかは幾分まだ衝撃は少なかったけど、それでも妙な違和感があった。なんというか、うまく言えないけど自分の声そのものがもっとも奇妙なあり方で存在してる自分の姿を僕自身に意識させてくるような感じ。これは録音を通して聴く自分の声に対する感想だけど、それは自分が声を発して直接聴くのと録音を通して聴く時の差から出て来るわけで誰しもその違和感が大なり小なりあるよ的なまとめ方でもいいとは思う。でも歌う時にも似たような感覚があって、もちろん録音物を通して聴くのとは少し違うけどもなんと言うか歌う行為を通して「あぁ、僕って本当にいるんだな」というちょっと変な感覚になる。そりゃいるから歌えるんだろ!当たり前なのだけどこの感じが決定的に奇妙な違和感としてある。

 

あーもしかするともっと歌うと慣れるのかな?スッキリするのかも?

 

こんなことを書きながら実は僕は頭の中で朗々と歌ってる。歌うことには憧れに似た気持ちもある。不快にも似た違和感があるのに。

 

だから一人で作業しながらも自意識からくるもの凄く恥ずかしい気分で多分自分の声をメインにした歌をきっと作ると思う。もちろんEQで帯域をいろいろ削ったりブーストしたりして声をエディットするだろうし何声も重ねたりするし、とにかくいじくりまわしながら作ると思う。