てくてく

日々の作曲に

今作曲中の

pre-nytの次のライブは京都で、と考えていて(今秋)今そのために作曲をしてる。

 

pre-nytに関わらずsoloでもそうだけど常に「乗り越えるべき何か」を設定して作るのでとても大変。「いつものこれとこれをこうすれば曲として一丁上がり」というふうにはしない。

 

pre-nytの曲はinstrumentalもあるけど一応は「僕が考えるpopな歌モノ」というテーマがあり、「pop」って何?とかいろいろ考える。

 

で、とにかく今作曲中の曲は「ハーモニーはドビュッシー的」、「リズムはHipHop」、でも「拍子は5拍子」という完全にわけわかんないことをしている。

 

なので実際にドビュッシーの和声感の強いピアノ曲を中心にいわばハーモニーsamplingみたいなことをして(つまりドビュッシーの曲の中からドビュッシーらしさを抽出すること)ハーモニーの構築をしている。でもあらためてドビュッシーの特に僕が好きなドビュッシーらしいハーモニーの部分を眺めてるともう既に僕の中にある程度その和声感は身体化されてるのがほとんどで特に何も考えなくともフランス印象派的なハーモニー構築には苦労しないなと思った。

 

問題はそれらの要素をpopな歌モノに昇華できるのか…ということ。

 

書き直したりしてるんだけど、ちょっと難しく書きすぎる嫌いがあって明け方の夢うつつの中で「もっとシンプルに書けるはず。たとえば…」みたいにしてアイディアが出て来る。

 

その曲の作曲がうまく運ぶかどうかというまさに作曲のとっかかりの時っていつも本当に何をしてても頭から離れないし不安だしイライラする。だからボーっとしてる時にふっと解決策のようなものが浮かんだ時の喜びは得難いものがある。

ものを作ったり考えたりする人はおそらくみんなそうなのだろう。